てつだいました。 黒田さんには、五人の子供がおりました。
 鞍のかわりに、馬の背にむしろを乗せ、なわでしばって、その上に、小
学生だった長男を乗せて、散歩させたこともありました。 たてがみをしっ
かりにぎった長男も、手綱をとる黒田さんも、たのしいひとときでした。 
田をたがやしたり、肥料を運んだり、黒田さんは、朝から晩まで馬と働き
ました。 馬はめす馬で、なんどか子を産みました。 そして、半年もたつ
と、売られていきました。 子馬とのつらいわかれでした。
そのころの日本は、中国、アメリカ、イギリスなどの国と戦争をしていまし
た。 戦争がますますはげしくなってきた、昭和十八年(1943年)の秋
のことでした。
 馬を持っている農家に、軍馬としてさしだすように、軍からの命令がき
たのです。 ただし、一頭につき百二十円のお金をくれるということでし
た。 馬を戦地に連れてゆき、武器や弾薬などを運ばせるのです。
 「こりゃ、馬にきた召集令状じゃないか・・・・・・」
 黒田さんは、馬を手ばなしたくはありませんでした。 馬がいなくなっ
たら、どうやって農業をつづけていったらよいのでしょう。 よく働いて
くれるかけがえのない、気質のやさしい馬でした。 でも、軍の命令に
さからうことはできませんでした。
 お国のためなら・・・・・・、黒田さんは、そう思いました。
 いよいよ軍馬にとられる日、黒田さんは、いつもより念入りに、馬の
体をあらい、ブラシをかけてやりました。 おくさんは、丸麦を煮てたべ
させました。 馬も、自分の身の上におきたことを感じていたのでしょ
うか、不安そうな目で、黒田さんをみつめるのでした。
 日が西に傾くころ、馬とのわかれがやってきました。 黒田さんは、
馬の手綱をとりました。
 黒田さんの子どもたちは、それぞれ遠くの学校にかよっていたので、
馬を見送ったのは、黒田さんの両親とおくさん、末っ子のまだ幼い
昌治くんでした。
 「よく働いてくれて、ごくろうさん・・・・・・」  「ありがとう・・・・・・」
 両親とおくさん、昌治くんも、馬にほおずりして、別れを惜しみました。
 馬も、大きな目をうるませて、しきりにほおをよせてきました。 集合
場所になった、近くの小学校の校庭には、飼い主にひかれた馬が、数
百頭もあつまったということです。 そのうえ、水戸の連隊まで、馬を連
れていかなくてはなりませんでした。 水戸まで五十四キロもの道のりです。

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昌治さん